
亡き父へ
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昨年、父が他界しました。
父は自由な人でした。
私が幼少期のころは、演劇をやったり、ピアノを弾いたり、彫刻作品を作ったり。
私が記憶している一番古い父との思い出は、私が5歳くらいのとき、父に連れられて、近くの国道沿いのなんでもないスペースにブルーシートを引き、父が作った木彫りの作品とこんにゃく田楽(名古屋出身だもんで)を売る露店をやっていたことです。
変な人でしょう。
ヘビースモーカーで、酒癖が悪くて、毎晩安い日本酒を飲んでは母と喧嘩しているような人でした。動脈の病気で足の自由が効かなくなり、自営業でやっていたペンキ屋も、タバコもやめなくてはならず、酒量が増えました。私は、タバコと日本酒の匂いが嫌いでした。
あるとき、我慢の限界を迎えた母が離婚を迫り、その日から父はパタリとお酒を飲まなくなりました。
私が思春期を迎えてからは、正直まともに喋った記憶もなく、私はそのまま大学に通うため家を出ました。
それから10年。地元にUターンして、実家の近くで暮らすようになりました。年取った父は、静かで、穏やかでした。実家に帰っても私のことはそっちのけで、いつも母にあーだこーだ話し掛けていました。
昔、父が私のために作った歌があります。私が大人になるころには父はすでに亡くなっているという設定で(笑)最後はお墓の前で結婚報告するというヘンテコな曲でした。
実際は、孫の顔も見せてあげられたし、自宅で看取ることもできたから、父の想定よりは随分親孝行できたのではないかと思います。
社会性は著しく乏しいけれど、心の綺麗な人でした。家族に囲まれ穏やかな笑顔で最期の時間を過ごしていた父の姿を振り返ると、なんだかんだ良い生き方をしていたのだなと、少し羨ましく感じたりもしました。
自営業だった父を見ていたからか、私も今、小さなコーヒー屋を営んでいます。最近は、私が焙煎したコーヒー豆でカフェオレベースという商品を作っているのですが、毎日インスタントコーヒーに砂糖とミルクを入れて飲んでいた父のために、父の日になったら仏壇前にお供えしようと思います。「おぅ」と照れくさそうに微笑して、ゆっくり味わってくれると思います。
お父さん、自由に生きることを教えてくれてありがとう。私はあなたほど才能には溢れていないけれど、きっとお父さんよりは商売上手だと思うよ(笑)。頑張って生きていくから、どうかこれからも見守っていてください。